副業を考える相談ケース

アラフォー世代の人が久しぶりに訪ねてきました。これまでいくつかの職につき、いまはアルバイト生活です。家賃6万円台でほかに最低10万円の生活費は必要です。彼によれば正社員は「乾いたタオルを絞るようにされ」、それ以外の働き方は“ワーキングプア”になる。その状態から抜け出す方法を考えてきたのです。
追い回されない働き方で生活条件を確保し、その片側で副業を始めそれを自営業に成長させるのがいい。このあたりは私と同じです。もともとそう考えていたのでしょう。
ネットで実名を出して活動し、就職時に検索されて失敗した例をいくつか見てきたようです。ネット情報はいいことは載らずどうでもいいことが拡散しやすいものです。これまで働いてきたのはネット関係の業務なので、その実例が印象強く残っているのです。
副業としては問題視されることはしないけれども、屋号を使って始めたいといいます。「不登校情報センター」も「あゆみ書店」も、ここでいう屋号にあたります。ネット上で商品・サービスを告知し、金銭の取引をするときは「特定商取引法による表示」が必要です。そこには責任者の個人名を出さなくてはなりません。それがネックで、それに代わる方法をいくつか検討しました。条件を支障なく満たすものはありませんが、なんとか可能な方法はありそうです。

当NPOで働く入り口を紹介

東京しごとセンターは、ニートやひきこもりの人が働けるように取り組む団体です。東京都が民間事業者に委託して実施しています。数年前にそこの担当者を話したときは、比較的短期間にいかに働けるようにするのかがテーマのように聞きました。
昨年そこで配られていたチラシを見ると、「多様な働き方」として「NPO、ボランティア、農業、在宅ワークなど、企業に雇用される以外の多様な働き方に関する相談に応じます」となっていました。
様変わりというべきが、現実の動きを学んだ結果なのか、もしかしたら委託先の事業者が変わったのか、事情は知りませんがこの数年で実際のテーマは変わったと思います。

不登校情報センターは事実上これを以前からテーマにしています。呼びかける対象者は引きこもり経験者、または現役の引きこもりの人です。年齢は20代後半以上としましょう。
ボランティアの内容には、例えば次のようなものが入ります。
① パソコンを習う、中学校レベルの勉強をする、イベントに参加する…。いずれも人のいる場にいられるようになるのがもうひとつもテーマです。これさえもボランティアになるかもしれません。なぜなら同じ場にいる当事者がそれによって自分のテーマを見つけたり、助けられるからです。
② 一緒にカラオケに行く、映画を見に行く、博物館や公園に行く、他の居場所に行く…。
③ HPをつくる、事務的な作業をする、片付けなどの軽作業をする。
④自宅から外に出られない人は、訪問を受けて話をする、在宅ワーク的な作業をする(出張オフィス)。
以上のことはこれまでにすべて、実際にしてきたこと・していることです。
このうち③と④については“作業費”を支払っています。これが定期的続くようになれば、「NPOで働く」ことになります。その状態になっている人もいます。
東京しごとセンターのいう農業はありませんが、他の項目は超小規模ながら実現しています。小規模であることのほかに、素朴な感じ、作業の程度はマダラ状で休み休み(個人差は当然なので承認済み)などが特徴になるでしょう。それでも着実に進んでいます。不登校情報センターのサイトはそのあゆみと到達状況を示しています。

事務担当募集のその後と将来

事務作業の担当メンバーを募ってきました。
3名が名乗り出てくれたわけですが、当日の体調不良等で実際にきて説明できたのは1名です。1名から作業をしながら説明をスタートしました。他の2名には体調を見ながらですが、作業・説明時間を火曜日の午後2時からと水曜日の午後6時からのどちらかに来ませんか、としています(2時間を予定)。実際に来ていませんので、どういうサイクルであれば来られるのかはまだ確定していないのです。他の時間帯がいいのかもしれません。週1回以上の事務作業日を安定的につくるのが目標です。
メンバーをさらに募ります。作業の入り口は単純な事務作業ですが、興味関心によってはかなり専門的な分野にまで及びます。情報集めから進路相談する人になるかもしれません。相談分野を自治体・民間を含めて調査していく道もあります(サイト制作やセラピストにつながる道でしょう)。事務作業として継続していく方法もあります。私の場合は編集作業からこの道に入り、情報提供に進んできたということができます。それぞれの人が実際に作業をしながら自分の興味関心に基づいて得意分野を追求していくといいのではないでしょうか。不登校情報センターを基点に自分なりに進む形を探してください。
引きこもり経験のある人に限定して募集しています。関心がある方は連絡をください。知り合いや家族にそれらしい人がいましたら、知らせてください。

収入になる場の見込みはどうか

不登校情報センターを収入の得られる場にする取り組みを考えましょう。
3つの面があります。共通する面と個人的に動く面、そして継続の条件です。

(1)集団的な自立のスペース
共通する面は活動の拠点としてフリースペースに作業を持ち込んだことです。いくつかの経過をたどり「パソコンを生産財にする」という目標に象徴されるパソコンの利用、とりわけサイト制作が中心になりました。複数人数が共同で大きなサイト制作に取りかかっています。このサイト制作は私が仕事にしていた情報提供の延長であり、また発展です。よしあしは別に私が仕事にしていたから始められたと思います。それがなければ全く違ったものになったかもしれません。
スペースに集まる当事者たちもパソコンをよく使いました。パソコン利用に進んできたのは自然でしたし、また時代の流れに沿うものでした。
サイト制作のテーマである学校と支援団体の情報提供は、初めから大きなサイトになると想定できました。集団的に取り組むしかないし、それは役割分担にも有効です。集団的な自立の視点はここから生まれました。
この面の現実の収入の到達点は小遣いの範囲を超えるものではありません。これを数倍のレベルに到達させることで安定的な小遣いのレベルになります。今年はどこまでできるのかが問われます。いまサイト制作の充実によりこれに事務作業を加えるレベルになりました。この点はもう一度あとで書きましょう。

(2)引きこもり経験者の社会参加支援
もう一つの点は、このスペースを基盤に各人が持ち味を生かして独自のテーマに取り組む方法です。何らかの非正規のパート的なことをしながら、関心のあることで生活基盤をつくるために動いています。
これを「引きこもり経験者の社会参加支援」としてまとめてみました。
①親の会や保健所などへの体験発表の出前サービス。
②メイク教室・編み物教室・DJ講座の場所提供。
③個人ブログの運営とアドセンスの設定。
④当事者・体験者として相談・手紙相談の方法を応援。
他にもありますがまだ形にはなっていません。その動きと不登校情報センターのサイト制作および活動には相互の影響があると感じられます。このうち④の当事者・体験者の相談方法は、サイト全体の双方向化の端緒になりうると予想しています。この先に文通を含めて引きこもり等の当事者が答える相談コーナーが成立していくのではないでしょうか。
それと並んで引きこもり経験者に適合する職分野に対個人サービスが浮上してきました。他の支援団体からそういう声はまだ聞いていません。仮説的なレベルでしょう。
これが生まれたのは当事者がしようとすることを受け入れるスタンスによります。気づいたのは一昨年あたりですから活動歴からいえば遅いと思います。振り返ると兆候は前からあったのですが、それまでは言葉にできるほど色濃くは現れていなかったのです。
この対個人サービスをどう応援していくのかはこれからの課題です。私がかかわる限り、ネットや出版的なことに傾きがちになるのは避けられません。そこを補充する本人からの提起やほかの応援が欲しいところです。
同じことは創作活動に対してもいえます。こちらも当事者の関心が強い分野ですが、不登校情報センターの取り組みとしては停滞しています。さいわい想造展という1つの形式ができました。消滅はしないでしょうが、発展となるとそれだけでは不十分です。ここにもとりわけ当事者の動きが要ります。
これら各人の取り組みの動き、対個人サービス業、創作活動などの共通基盤、いわばベースキャンプが不登校情報センターになります。事務所として場所提供、印刷機・コピー機・FAX・パソコンの利用などの便宜提供、企画や広報の手伝いです。
これらは収入につながる面では小遣いに足らないレベルですが、自分で始めていることが貴重です。

(3)事務作業の3つの役割
サイト制作のレベルがある程度の収入を生み出す状態になりました。事務作業として取り組む課題が現実的になりました。
事務作業の第1の役割はそれを収入にする取り組みです。サイト制作が進み充実したといっても自動的に収入がえられるわけではありません。サイト内の情報の充実、情報の更新、情報の新規収集を合わせて行うこと、これが事務作業です。何をするのかは先日つぎのように書きました。
(a)リンクの継続依頼と紹介情報の更新+α
(b)紹介情報の更新とリンク依頼+α
(c)新規の紹介情報の依頼とリンク依頼+α
(d)更新・リンクのサイト掲載情報を記録台帳と照合する。
*「+α」には、①イベント情報の提供、②支援者プロフィール、③学校案内書・相談室案内書の紹介と委託配布、④質問Q&A、⑤広告掲載の依頼と更新などが含まれます。
この情報収集が第2の面です。それはそのままサイトを継続していく体制づくりになります。情報提供とは集まった情報をネット上に載せることではありません。まずは情報を集めなくてはなりません。情報を集めるのは事務的な作業になります。情報を集めることの本当の中核は企画です。何をどうするのかという構想と判断が求められます。
この情報収集の企画は事務作業のレベルでは到達しません。しかし、理論的なことから始めるよりは事務作業から進むのが自然にできるでしょう。事務作業から始め、そこから情報の性格を知り内容判断できるようになるのがいいのです。
最後の付け加えるならば、情報収集は不登校情報センター自体を存続させることにつながります。情報収集と情報提供がない不登校情報センターもありうるかもしれませんが、それは名称と一致しない情報センターです。当事者による事務体制をつくるのはこれからのことです。

当事者の仕事づくりを応援する

シリーズ「なでしこ会講演その後7」(最終回)は、居場所で何をするのかは当事者がやることを応援すると話しました。感想としては次のようなものが寄せられています。
《居場所の役割の中に、当事者がやりたいことを見つける場、又それを応援する場、というお話しが、これからの居場所が目指すところと思います。》
《居場所からの発展する可能性を感じて嬉しくなりました。》
《居場所のある意味、方向性が分かりました。年齢も高齢化しつつ有るので、自分で好きな事から就労につなげていけると。》
《居場所は支援者が何をするのかを決めるのではなく、出来る事を応援すること。》
初めからそうであったとは言いがたいし、到達状況は十分ともいえません。その点を少し。
当事者が集まるようになって2、3年したころに私がしている本の編集業務を手伝うという人が現れました。ついで2000年5、6月に文通誌『ひきコミ』を発行することになりこの編集作業をする人が生まれました。いずれも私の仕事である編集業務が関係します。
そのうちに30歳前後の会の人が「不登校情報センターを働ける場所にしてください」といってきたわけです。あゆみ仕事企画を名乗りいくつかの試みをしました。内職はすぐに断念し、ポスティングは4年ほど続きましたが参加者が減ってこれも停止しました。DMの発送作業はいまもときどきあります。
それらのなかで成長したのがホームページづくりです。このホームページづくりも私が仕事にしていた学校や支援団体の情報提供です。出版物からインターネットに転換した時代的な背景があります。運もよかったと思います。

居場所で何をするのかは当事者がやることを応援するというのが当てはまるのは、むしろ最近のことです。
しかし、振り返ると当事者が自分の思い付きを試行できる環境があると感じたのでしょう。
① 必ずしもうまくいかなかったとはいえ、あゆみ仕事企画の取り組みがあります。
② そしてホームページづくりです。これは当事者から自発的に出たかどうかは微妙なところです。不登校情報センターの内容を発表するホームページづくりは何人かが試みました。そこに私のほうから学校や支援団体の情報を提供するサイト制作を呼びかけました。サイト制作を呼びかける私はその方面の知識は何もありませんから、それができる当事者に任せるしかありません。
③ パソコンを教えようと個人でパソコン教室を開いた人がいます。整体師を目指す人が呼びかけたところ、数人が“実験台”になりました。
こういう経験のなかで、当事者が自分のほうから何かをしたいと始めたのです。
これは仕事や作業に関してだけではなく、日常的に楽器、パソコン、スポーツ用具など当事者が持ち込める状態にあることに関係します。居場所は当事者が何かをしようとするときにそれを始めてもいい雰囲気にしたいところです。

2011年の夏に「引きこもり後を考える会」をしたいという人が現れました。このメンバーによる「引きこもりから抜けだす仕事づくり」集会を2011年10月に開きました。しかし、これはその集会を山場に消滅しました。
続いて仕事づくりをめざす人がそれぞれ何かを始めています。これらのなかで彼ら彼女らの仕事づくりに対個人サービス的なことが多いと気づいたのです。それは当事者にカウンセラー指向や個人授業的な教え役を望む人が多いという以前から言われ感じていたことと共通します。個人ブログを立ち上げ運営する人も生まれました。だから対個人サービス業に限定しなくてもいいのです。しかしこの仕事づくりの取り組みや実現の程度はまだ端緒的なものです。

愛知県での講演要綱を作成

1月20日、愛知県武豊町で「長期化する引きこもり支援活動」として講演することになっています。講演の要綱をまとめました。大きくは2部にわけ、前半は不登校情報センターの取り組みの経過、後半は当事者の状態と居場所の役割です。主催のなでしこ会に送ります。講演の当日までにさらに検討していくぶん違うことになるかもしれません。

〔Ⅰ〕不登校情報センターの就業の取り組みの経過

(1)ワークスペースの始まり
いまから10年ほど前に、通所していた当事者から不登校情報センターを働ける場にしてください、という声が聞こえるようになりました。当時、30歳前後の人の会という15人ぐらいのグループがあり月2回ほど話し合いをしていました。私はほとんど参加しなかったのですが、2年ほどすぎて話し合いだけでは行きづまりを感じたようです。
①当時は引きこもり経験者とはいえ10代から20代の人が多くて、30代以上の人は少数でした。それだけに「これから働けるようになるかどうか」の問題が切迫していたように思います。
②一般企業で働くには困難が多くて、その道は選べないと判断。何人かはアルバイトなどで働いた経験があり、そういう経験に基づく意見交流だけに状況判断は根拠があります。
③居場所が第2の引きこもりの場所になる、引きこもったままで社会参加をしたい、そういう意見も検討し、そのうえでの要請でした。
④こういう背景から出された要望でした。私は起業家ではありませんでしたが、何度かの話の中で「不登校情報センターを当事者にとっての収入になる取り組みを始める」方向を答えました。それが今日のワークスペースの始まりです。当事者の会という居場所を土台にワークスペースが生まれたのです。

(2)収入になる取り組みの広がりとサイト制作への集中
①実際に収入になる取り組みにしたのは、
*内職(ストラップの部品作りでしたがすぐに断念)、安くて、時間がかかりやってられない。
*ポスティング(ぱど=月2回と月刊新聞で2006年まで続いた)、1地区からはじめ4地区(3500部)まで広がった。参加者も多いときは15名を超えたがその後、参加者が減った。また新聞社は倒産した。
*DM発送作業(2011年まで年2回程度)、リーマンショックと3・11地震のあとに参加校が減り、収入が減り、自前の取り組みが難しくなった。しかし今年また企画して欲しいという要望がきている。
*テープ起こし(2004~06年)、できるのは1名。
*ヘルプデスク(2004~07年)、一時は多少あったが、いまは1名が細々と続けている。
参加者が安定しない(関心、出来ること)、基本的に収入が少ない、継続的なものに応えきれない、などの複合的な原因で途切れていきました。
②ホームページづくり
不登校情報センターの本来業務は学校や支援団体の情報提供⇒その方法が本からネットへの移行していきました(2004年)。
*作業チームづくり(2004年の数名)から体制づくり⇒NPO法人(2005年)にし、目標を「パソコンを収入源にする」。パソコンの獲得と整理(ほとんどが中古のもらい物)。
*収入項目の企画・設定⇒大きなサイトを構想し、項目別ページを企画し、ページがある程度できたところから掲載料、リンク料、広告料を導入、そのご掲載料を無料に。作業費の支払い基準づくり。
*作業チーム、最初は1、2名のできる人から始める。
2006年秋に作業参加可能者の会合(10名くらい参加したが継続した人はいない)。
4台のパソコンで週3回実施チームが動く(2007年春)。
Wikiシステムの導入(作業に参加できる人が10名程度に増える)。
サーバーの統合とアドセンスの導入(2011年)⇒ネット自体が収入になる仕組みを強める。
現在はノートを含めパソコン7台が“稼動”。
③パソコン関係以外(ベースキャンプとしての居場所)⇒〔Ⅱ〕につづく
*創作活動:2006年2月第1回、2011年5月第5回。創作品の販売はホンの少々。
*メンバー個人の対人サービス業中心の取り組み:2011年秋から始める。ヘルプデスク、メイク、居場所案内、手紙相談サポート、訪問サポート(トカネットへの参加)、体験発表企画、ブログの運営…。

(3)ワークスペースの到達点
①週4日のワークスペースが回転している(各自の作業を分担)。参加者は10名程度。他に作業に加わらない人が数名、センター内のイベントには参加する人も別にいる。
1人あたりの作業時間は月数時間から60時間で個人差が大きい。
②各人の収入レベルは数万円。ただし、情報センターとしての収入が追いつかず合計100万円程度の未払いが発生している。アドセンスはほぼ予定レベルに到達。これを倍加するのが今年の目標。
③在宅ワーク(出張オフィス)の開始(2013年から。成否はこれからの動向による)。

(Ⅱ)居場所⇒(観察・要望・企画)⇒ワークスペースの役割
(1)社会参加促進団体の3タイプ⇒学校型、福祉型、仕事起こし型(集団的なSOHO)のなかで活動スタイルを(集団的なSOHO)に位置づける(2005年)。
(2)3つの特徴点(作業が遅い、休み時間が多い、臨機応変と責任の回避⇒集中可能な時間に左右される:個人差は大きい)に見合う作業方法をつくる。
(3)パート労働の3つのパターン:バイト等の就業者の経験。
①3か月のフルタイムバイトと数か月の休職の繰り返し。
②週5日・1日2~3時間の短時間バイト。
③週2~3日のフルタイムバイト(2週で5日制もいる)。
*これを超えると心身状態がおかしくなることが少なくない。「無理をするな」(自分の体調を自分でよく知る、短時間バイトの繰り返しを通して自分を状態を知る)。
*集中力の限度(オーバードーズのTnさん⇒親に言ってもわからないので、体の状態で表わす)
(4)好きなことを仕事にする積極性
①仕事はできないが、趣味のネットゲームは休まない、釣りはいつでも元気、創作活動はしている…。
趣味などは精神的疲労感や不安が少なく継続できる。それを収入にする条件を探しつくる。
②個人事業的なものが適している。SOHOであるが個人単独ではできないので集団的で支援者が関わるワークスペースがあるとやりやすい。高い山に登るときのベースキャンプのような役割。
③コピー機、パソコン、宣伝、イベントなど事務、企画、広報と当事者間のつながりがバックボーンになりやすい。
(5)社会的・制度的支援を要する背景
引きこもり経験者の就労条件はいくつかの特殊条件があります。また個人差が大きく一人ひとりの状態に例外として対応する環境が求められます。
それでいて事業所としての経営が成り立たないと継続ができないものです。社会的・制度的な支援を要するのはこのためです。
①「引きこもり」認定制度、または「引きこもり支援事業所」の認定の導入。
②将来の住宅・生活条件を含む社会的な環境整備をめざす取り組み。

27日カラー&メイクをどうぞ

 27日、火曜日は島田邦子さんの「カラーセラピーとメイクレッスン」の日です。
現在の予約は2名で、空き時間があります。カラーセラピーとメイクレッスンのどちらか、または両方を希望される人がいましたら、島田さんに直接連絡をしてください。男性もOKです。
連絡先はmail@pashupara.com、料金は1000円。
場所は不登校情報センターの相談室(JR総武線「新小岩」南口7分、TEL03-3654-0181)です。

愛知なでしこ会の活動を聞く

愛知県を中心に活動しているNPO法人なでしこ会の役員2人が訪ねて来られました。なでしこ会は全国ひきこもりKHJ引きこもり親の会の支部です。
なでしこ会は2009年6月から会員家族へのアンケート調査と2時間に及ぶ聞き取りによる引きこもりの実態調査を調査報告書にまとめています(2010年3月第1版発行)。現在はその調査から示唆された5つの課題に向けて取り組んでいます。
① 居場所づくり、②訪問支援、③相談事業、④社会参加、⑤他団体・地域での連携、です。
昨年4月に拠点となる居場所「フレンドシップなでしこ」ができ、最近の取り組みには職親さがし(中小企業との連携)と“親の死後の当事者のための生活ハンドブック”づくりに取り組んでいます。
これらを含めていろいろな状況を聞かせていただきました。
不登校情報センターを訪ねて来られたのは、10月16日『しんぶん赤旗』の記事「30歳以上 ひきこもり支援」にいくつかの共通性を感じてのものです。
私は不登校情報センターのこれまでの取り組みの要点、特になでしこ会が課題にしている5つの点を話しました。赤旗の記事で小見出しになっていた「社会参加と収入」の内容と方法に関心をもたれたように思います。不登校情報センターのサイトでしばしばふれている内容の概略になります。
役員の2人をはじめなでしこ会の親世代は私と同世代が多く、ネット情報をみることはあまりないようです。
来年1月20日、愛知県武豊町でのなでしこ会に参加し、講演をすることが決まりました。武豊町の社会福祉協議会との共催になるようです。

在宅ワークセミナーに学ぶ

東京しごとセンターで開かれた「在宅ワークの仕事の見つけ方」セミナーに出席しました。
個人事業主として在宅ワークの仕事を請け負う予定はありません。けれども不登校情報センターを基盤として仕事づくりを考える人に役立つ内容はいくつか知ることができました。
具体的にできることは少しずつ実行に移します。
例えば、「出前体験発表サービス」をする人の自己紹介を、より詳しくすることです。これは仕事を依頼する人から見れば(在宅ワークへの仕事の発注)、請け負う人がどういう人なのか、何ができるのか、よくわかるほうが依頼しやすいからです。「引きこもりのいろんなことを話せます」というよりは「引きこもりからの抜け出した体験談を話せます」というほうが、依頼しやすいということです。

もう一つより大きな、それだけにまだ漠然としていることですが、就職型ではなく自宅で何らかの形で仕事をしたいと考える引きこもりの人の参加スタイルを考える機会になりました。
いただいた資料にあるデータでは「正社員は減少し、非正規社員、自営業は増加します」としてその延長に「非・正社員が主役の時代がくる」ことが記されています。そこにあるのは単純に否定的なものばかりではありません。このセミナーはニートや引きこもりの仕事に関して何かをしようとするものはありません。ところが正社員指向の人には理解しがたい・受入れがたいと思える社会状況とそれへの対応が、引きこもりの社会参加の視点からは見えやすい、近づきやすい面があるのです。
講師の1人が紹介した中に「再び小商い(こあきない)の時代がくる」というのはそれを象徴しています。この発言は佐々木俊尚さんが言ったことのようです。

私は若いころに、資本主義は大生産・大流通の時代を迎え、その時代でも私的な小生産・小流通は絶えることはないけれども、いずれまた小生産・小流通が復興する時代がくるというのを読んだ遠い記憶があります。そのことを指しているのかも知れません。それはインターネットが社会に張り巡らされてきた条件によって可能性が徐々に現実的になってきているのです。

 

仕事を始めたアスペ女性の手紙

仕事についたときに体験する共通の心理的な様子がわかります。本人の了解により紹介します。

その間、結婚式場の繁忙期になり、仕事のできるスタッフの方々(でも皆さんとてもピリピリしていて、かなり厳しい)と働いているうちに、自分の素の姿(本当はアスペで空気もよめず、融通もきかない面)を皆さんに知られてしまい、居場所をなくしてしまいました。
今までできた仕事まで、おかしくなってきてしまい、皆さんからいつでも注意されて、また気持ちが動転してしまい、早く一人になりたいと必至で思いながら仕事を続けました。
あまりに苦しい状況と同じ時期に、ネイルアートのモニターの方々にも、もっと場所のクオリティが欲しいとか、書類や概要や企画書も書いてきて欲しい、化粧品メーカーと連携してその場で化粧品を買えるようにして欲しいなどご指摘を受け、頑張って書類や場所を作り替え、化粧品メーカーのバックアップにも漕ぎ着きました。
結婚式場でも、お金が動く以上もっともっとと要求は高くなります。お金をいただくからにはこれだけの準備や時間、神経を要するのだと感じて頑張りながらも、一方では自分の心がただ義務感だけで必死になり、疲れていくのを感じていました。
最近は、ネイルアートなどで支援にまわり、引きこもり体質だった自分もすっかり卒業した気持ちになっていましたが、真実は違いました。私のここ最近の姿は、メッキであり本来の姿を隠していただけ=本心に正直にならず自立だけを考えていたと気づきました。
本当は、芯の部分は何一つ変わっていなかったことに、驚きました。
「もう一度、何もかもやめて引きこもりたい。」と思いながら、ピンチはチャンスだと頑張って思い直しました。
社会や職場で、なぜ引きこもりが続けて仕事できないのか、その心理を自分を実験台に分析して、それの乗り越え方もみつけようと考えて、仕事を続けました。
結婚式場の現場は、まるで弱肉強食で、強くなることは偉くことだと誰もが尖った強さを発揮しています。私はプライドがある故に、行き詰まり感じた訳ですが、そのプライドとは、自分自身の恐怖心と自分を変えたくない自我でした。(私の場合)人に対する信頼感も全くなく、そのうえ注意されれば、凄くこたえてしまう…それは、自分の水面下の努力や自分自身を自分でよくやってると思えていない証拠でした。
仕事場で、乗り切るために始めたことは、こんなことでした。人から言われた言葉をすべて受けとめないこと、自分のいいところを必至でみつめていくことでした。その上で、注意されたことは素直に次回にはできるように頑張りました。
お陰で、お客さまから喜ばれたことがあり、スランプを抜けました。
ただ、今後のネイルアートは、コミュニティカフェのようにカミングアウトされている引きこもりの方も、実はカミングアウトしてなくて、社会でなぜか居場所をなくしている方々にも来ていただける値段と個性を歓迎する場所にしていきたいと、本当に向かいたい方向がわかりました。
自分の生活費は、結婚式場のアルバイトで稼ぎ、できればネイルアートは、皆さんが来れるお値段と寛大な空気の流れる場にしていきたいです。
ネイルアートをされている先生は、他にもたくさん存在します。同じような場所を作るより、せっかく引きこもり体質で生まれてきた自分にしかできない活動をしていきたいです。

*文中の職業名は変えています。