引きこもりの支援目標

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多少あやふやなことも書いておきたくなりました。
引きこもり支援の公的な(むしろパブリックな)支援目標はどこでしょうか。
人によっては、家族と通常に話せること、外出ができること、親しい友人関係になる人ができること、仕事に就き社会生活ができること、働けない条件であっても福祉等の支援を受けて生活できること…などが、現状からの一歩前進になることもあると思います。
多くの人はこのなかの「仕事に就き社会生活ができること」を支援目標の到達地点とするでしょう。
本当にそれでいいのか。こう問い返されると、これ以外のそれぞれの意味もあると答えるでしょう。しかし「公的な支援目標」となると「仕事に就き社会生活ができること」をあげてしまうことになりそうです。

さて障害者支援はどうでしょうか。身体障害者、たとえば失明者にも物が見えるようになる技術的・医学的な発見・発明がない限り、失明したままで社会生活のできる条件ができ、本人にそれを活用できるのが「公的な支援目標」になりはしないでしょうか。
知的障害者はどうでしょうか。IQ(知能指数)70以下を知的障害者としています。これも技術的・医学的な発見・発明によりIQを70以上にする道が開かれない限り、その状態で社会生活のできる条件ができ、本人にそれを活用できることが「公的な支援目標」になるのではないでしょうか。
精神障害者はどうでしょうか。こちらは精神障害を治癒することがより重視されます。しかしそれでもなお、身体障害者や知的障害者と同じく、その状態で社会生活のできる条件をつくり、本人にそれを活用できるのが「公的な支援目標」になると思います。精神障害者はその状態から抜け出す可能性が身体障害や知的障害よりもかなり高いのが特徴になるでしょう。
発達障害者はどうでしょうか。たぶん精神障害者と似たものになるのでしょう。

こういうなかで「引きこもり」の「公的な支援目標」を改めて考えてみたいのです。それは精神障害者とは同じではありません。一部は精神障害者と重なり、また一部は発達障害と重なります。しかし、確かにどちらにも重ならないと思える人も少なからずいます。精神障害者の予備軍的な人、発達障害とは言えないけれども気質的な同一性を感じることが多いとしても、同一視するわけにはいきません。
ここから私は「働けない条件であっても福祉等の支援を受けて生活できること」、言い換えればこれは身体障害者、知的障害者、精神障害者にも共通する到達目標であると考えます。そのうえで本人の条件の中で「仕事に就き社会生活ができること」が加わる人がいると見るのがいいと思います。

ただし、全体にこの論議・提起は大まかなもので、細部における検討は不十分としておきます。

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