「特例子会社」と発達障害者が主体の職場は異なる

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「日本発達障害ネットワーク第7回年次大会」の感想その3です。
参加した講座のなかに「就労の課題」の報告がありました。そのなかで「特例子会社」の様子を聞きました。
「特例子会社」とは相当規模の企業が、障害者雇用の法律的基準以上を満たすために、障害者中心の働く場をつくり運営する職場です。現場の責任者たちは障害者雇用に関する熟練者、福祉や心理職の専門家といっていいのでしょう。
このような場の広がりは、発達障害の支援として有効なものです。不登校情報センターに関わる当事者にもその形で就労している人もいますし、また障害者雇用を進める企業団体からの協力の呼びかけも受けています。これからも「特例子会社」の広がりに期待することは大きなものがあります。

その一方では、障害者、特に発達障害者の雇用が「特例子会社」に収斂する、集中することを喜ばない気持ちもあります。
彼ら彼女らが、その生活スタイル、労働のしかた、そして心理状況をそのまま持ち込むタイプの職場が実現できる可能性を信じるからです。それが可能なのは発達障害者の現状から見れば少数になるのかもしれません。それでもそういう見本、旗印が必要であると思います。
私には発達障害者には、人間の未来を示すものが潜んでいるという予感めいたものがあります。人間の進化の過程を模索している姿があると思えるのです。模索の過程とは正常な状態と逸脱した状態が並存するものです。それはどの人間にも偏りが、すなわち得手不得手があります。その範囲のことです。
そうすると発達障害といわれている人たちは、将来になると違った言葉で表現されるのかもしれません。そういう人が「特例子会社」という場所に活路を見出すだけというのは、やはり違うのはないか。その意味で、自らが主導して作り出す職場の見本と旗印が生まれると思います。
もしかしたら「特例子会社」のなかで、発達障害者がその生活スタイルをそのまま持ち込む現象が生まれるのかもしれません。この講座ではそこを感じました。

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