自分不信と「自分との対話ができない」

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広木克行先生の講演感想の(1)
2月4日の「全国合同教育講演・進路相談会・東京」における広木克行先生の講演「子どもは育ち直しの名人」をききました。
その感想を書き広木先生に送りました。それを2回に分けて掲載いたします。
広木先生は長く不登校の親の会に直接に関わられ、現在は大阪千代田短期大学の学長です。

2つの点で私なりの理解に発展があったと思います。
その一つは広木先生が「自分との対話ができない」ことを、子ども・若者の孤独感、見捨てられ恐怖の背景にあるとある人の文章を紹介しながら説明された点です。
若者の孤独感、見捨てられ恐怖が広がっているのはご指摘のとおりです。
私のこれまでの理解ではそうなるのは人間不信のさまざまなレベルが根底にあります。
人間不信のさまざまなレベルとは、対人不安、対人回避、視線恐怖、対人恐怖、対人敵意、対人憎悪などです。
個人単位ではこれらの要素のいくつかがレシピのように組み合わさって表われます。
それは相手によって、場面によってその調合が特徴的に表われます。
その人の性格特性のように見えます。
私のこの認識がどの程度の正確さを持つのかは、脳神経系の病理学的・生理学的な研究によってやがて明らかにされていくでしょう。
この人間不信を突き詰めていくとその根底というか裏側には、自分不信があることに気付きます。
「自分を受け入れられない」とか「自分で自分のことを信じていない」などの言葉で表します。
一言でいいますと自己否定感です。

ここを出発点にして若者各人の成長発展を考えるのが支援のスタンスになるだろうと思います。
この実践過程は試行錯誤の連続であり、私には事態をうまく表現することも困難です。
ということはあまり上手くいっていない証拠でもあります。
よくわからないけれども一つ乗り越えたような気がするときがあります。
そのときに生じていることかもしれません。

ここに数学で使う補助線のような役割を与えてくれたのが「自分との対話」ではないかと思い至りました。
人間不信・自己否定感と見捨てられ感の間に「自分との対話」をおきます。
「自分との対話」ができる状態になること、そういう力をつけることが支援のしかたになってきます。

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