不登校の時間にしていること

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不登校の間に子どもが何をしているのでしょうか。いろいろな生活状態があると推測できます。個人差が大きいのです。
テレビばかり見ている、ネットゲームばかりしている、何もしていない、全然勉強をしていない、学校に行きたいと思っているのは確かだけれどもいざ学校に向かうとなると体が動かない。
これらは親の目に見える子どもたちの姿です。どんな生活をしているのかを聞いたときの返事によく出る言葉です。子どもの姿はそういうことですが、同時に子どもは別のこともしています。
あの時、なぜ自分ははっきりと物が言えなかったのか、あの時はなぜあんな答え方をしてしまったのかなどを振り返っていることが多いと思います。これまでの自分の行動とか性格とか、友達や親の関係をバラバラに、あまり系統立てずに思い浮かべているものです。それがつらくなってテレビゲームに打ち込んでいるという人もいます。これらは子どもの内面で起きていることであり、外からは見えづらいものです。

子どもが不登校のときに何をしているのかを聞けるときがあります。子どもがこういうことを話せる時期や場面があるのです。
(1)親に対して依存的な条件が受入れられるとき。
(2)信頼できると思える人が現われたとき。
(3)不登校が自分の体験として時間的にはなれた状況で見られるようになった時期です。

私が聞いたのはこのうちの(3)のケースが多いのです。そのときなぜこれまで話せなかったかを聞くこともできました。その答えは親や教師が聞いてくれなかった、とても聞いてもらえるタイプとは思わなかった、話せるような人が周りにいなかったなどが答えです。
そのときどきに聞く人、話せる人がいれば不登校を経験することはなかったのでしょうか。それはわかりませんが、求めた時期にはそのような人がいなかったことは不登校に関係していると思います。
自分のおばあちゃんがなくなったのがきっかけとなって不登校になった女の子が、「話しを聞いてくれるおばあちゃんが亡くなったからかな?」というのを聞いたことがあります。

(1)の依存的な子どもの行動に対して、それ自体を否定的に扱われることが多いようですが、私はむしろチャンスであると思います。ただそれに付き合うことは相当のエネルギーと努力と覚悟がいると思います。相談を受けたときには最大限受けとめるよう答えたいと思います。
(2)の信頼できる人というのは子ども側から選ぶのであって「私を信頼して…」と親や支援者が子どもに求めるのはナンセンスであり、それは信頼できない人の証明ではないかと思います。子ども(または当事者)は信頼できる程度に応じて自分の困難な内容を話せるものです。

これがパネルデイスカッションのその3です。

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