現代の青年が直面する課題と引きこもり

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*大人の引きこもりを考える教室第9回講義要綱

20代から30代前半に延長された青年期は、人の一生でいちばん身体能力が高い時期です。30代まで延長された青年期といっても、社会的条件による延長であり、生物としての年齢と身体能力の関係は無関係に続きます。
青年期が30代にまで延長した背景には社会的な条件があるとはいえ、その表われ方は個人差が大きく、個人別のオーダーメイドの青年期論が必要といわれるのです。
成人した人間に個人差が大きいのは当たり前です。男女別に加えて、その人の職業的・家族的・人生経験または生活文化的な要素により独自のものになります。成人した個人とはその人格的な実現と同じことです。
青年期における人格的な実現とは、自分と社会関係が統一的に理解されることであり、アイデンティティの確立といわれます。自分が社会人になれる感覚を得ることです。私の例で言えば、26歳のときに「このままでいい」と“居直り宣言”をしたことが象徴的に表われた時期に当たるでしょう。

青年期のあとは徐々に身体能力は低下していきます。代わって知識・技術・経験に裏付けられた社会的な総合力が発揮され置き換えられていきます。従来の青年期は20代前半までであり、成人は身体能力が最高の時期に相当し、その後に社会的な総合力が追いついてきます。現代の青年期はこの身体能力と社会的総合力が交代していく時期が重なるのです。
知識・技術は独自に獲得できます。経験により得るものの中心は対人関係、社会的な関係と結び付いています。知識や技術の獲得と対人関係、社会的な関係が結び付いていた状況が変化し、両者が離れやすくなっているのが現代です。
言い換えると社会的な総合力を身につけることが青年全体に難しくなっています。知識・技術を高度に身につけていくことと、対人関係や社会的な関係づくりが重ならない状態が増大しているのです。多くの青年の成長の困難はここにも一つの根があります。

長期の引きこもり経験のある人の直面することは、身体能力が本人の素質として持っているだけ十分に成長を遂げないうちに低下し始めるのです。「成人しないうちに老化が始まる」感じなのです。長期引きこもりの人は10代が最高の身体能力の時代であった人が多いと思います。
他方、身体能力に代わるはずの社会的な総合力が成長せず、両者の総合した状態はアンバランスになります。知識・技術・経験のうちどれかが、どこかの分野で深く到達している場合は、その分野を梃子(てこ)にして全体を浮上させることができます。そういう人は少なからずいます。
しかし、誰もがそうできるわけではありません。多くの人は個人テーマとして対人関係や社会的な関係づくりを元に戻って身につける、取り戻す必要があります。大多数の長期の引きこもり経験者、ないしは社会的な総合力が低い人は、その部分をさまざまな工夫によって高めることが基本条件です。むしろこの部分は引きこもり経験者だけではなく、多くの青年期の人たちに共通のする現象です。

意外かもしれませんが、これは社会的な進歩の一面ともいえます。動物において成体になるまでに時間がかかるのは高等動物の証拠でさえあります。人間もなお高等動物化、進化し続けているのです。成体になる条件が社会的な要素であることを表しています。
変化のなかで親や教師の従来どおりのやり方が通用しなくなった人が生まれてきました。それは当初は未達成や逸脱状態に扱われました。しかし個人的な独自の成長過程を探る人が増えていき、「自己実現の病(?)」になる人が増大してみると、未達成や逸脱では説明できない本質的な要素が表面に表われます。
文明時代を迎えて以降、人間は生物として持っている身体能力の低下を文化的・技術的な進歩によって置き換え、身体能力以上の可能性を達成してきたといえるでしょう。
この面から見れば長期の引きこもり経験者に典型的に見られる青年期の不燃焼状態・従来とは異なる成長のしかたは、人間がこれまで繰り返してきたことの現代版です。すなわち工業中心の産業社会から情報が特別の役割をする産業社会に移行するとき、人間が直面する課題です。これは青年期の人たちに強くまた広範につきつけられます。そのぶん青年期には特徴的な表われ方をし、引きこもり状態はその一つの表われです。
それへの対応方法は社会構造を含めた大きな変化が必要になります。その全体像を描くことは私にはできません。できるのは個別に表われることを全体と結び付けようとすることです。各人の自立の獲得は従来のやり方に自分を当てはめることでは到達できない人を大量に生み出します。しかしそのエネルギーは社会制度を徐々に変えていきます。
1つの場面をみれば、小さなコミュニティにおいて各人の自由が保障される形ができる環境になります。また大きな社会、大きな国家は社会の進歩と両立しがたくなると予測します。ヨーロッパにおける小国家への分裂傾向は個人の特質を発揮する前提の文化的・地域的・民族的可能性の濃度を高めようとするもので、今回のテーマとレベルはかなり離れていますが、この傾向を示しているのです。
このような社会のいろいろなところに変化を見せながら、社会全体が構造的な変化を示します。青年期と変化と社会の変化は徐々に統合されていきます。しかしそれに至る過程は、社会に振り回されるように見える人を多く生み出します。そういう時期が現代であり、現代の青年論は移行期の性格を示さざるをえないのです。個別のオーダーメイドの青年論が必要になっているといわれるのは、青年論がこの過渡期の性格を持つためです。

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