親子の関係における無償の愛と盲目の愛

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ともに見返りを期待しない愛という共通項がありながら(?)、無償の愛は肯定的なものに考えられ、盲目の愛は否定的に考えられるようです。この違いは愛の対象である相手側の事情をどこまで尊重できるのかの違いによります。
無償の愛には相手の事情によっては、自分から離れることも可能性の範囲にあります。
盲目の愛には相手が自分から離れていくことは想定されていないのではないでしょうか。
「自分から離れる」ことの許容性をどこにおくのかにより、無償の愛も盲目の愛もそれぞれ様子が変わります。

子どもがイラストレーターになりたいといったとき、親が「そういう不安定なものではなく、安定的な経理を身につけなさい」と反対され経理学校に入った人がいます。
子どもが職業高校に進学して、機械を扱う工員になりたいと言ったとき、親から「大学に進学してから後のことはそこで考えなさい」と普通高校に入り、法学部への大学進学をめざすことになった人がいます。
十代の子どもの進路選択の場合、このようなことはありうるものです。子どもに判断材料がない、判断できない、まだ子どもがそこまで具体的に決めることは求められているわけではない、親の思惑が別にあるなどの事情によります。
イラストレーターを志望していた人は、その後いろいろな経過をたどり、ある時期に私との関わりができました。しかし、姿が見せなくなったと思ったら親の強い意向によることがわかりました。今は転居して手の届きにくい地域の作業所にいます。
法学部を卒業した人は30代であって、ある日「ニートやってます」と来て話してくれたことです。
親は子どものためによかれとしてきたことでしょう。それは信じますが出発点が違うから行く先も違ったと思えるのです。やさしいタイプの子どもは反発しないし、いろいろあっても親の言うようにしがちです。
だからこそその子が出すことを尊重して進めてほしいのです。すぐに答えや反応はないかもしれません。子どもが遅くなって出した答えでも、それがいちばん早いし、自立につながる確実性は高いです。
自分の子どもである場合、「自分から離れる」といっても親子の関係が消滅することは基本的にはありません。

〔追記:12月25日〕押し付け的な愛情表現も盲目の愛の一種になるという意見です。

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