引きこもりは障害者なのか!?

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9月2日の「障害者枠の公的支援に思う」に対して、2人からコメントをいただきました。
「無名」さんからは、重要な指摘を受けました。状態により障害を定めるのであって、原因によって障害を定めるのではないという点です(無名さんは障碍と表記しています)。

私の引きこもりの経験者との関わり、関わっている範囲の人で、無名さんの意見をとりいれて問題を整理すると、次のようになります。
(1)引きこもり経験者を全体として障害者枠で支援する対象は、おおよそ35歳以上、ないしは7、8年以上の引きこもり経験者になろうかと思います。
この条件においては少なくとも80%くらいは、フルタイム就労の形の社会参加は相当に難しいと思えるからです。それぞれの人の可能な範囲での就労または社会活動をめざすのが目標です。生活条件を確保するには障害者枠の社会的な保障を設定するのがいいと思います。「少なくとも80%くらい」というのは、実態調査において確証・訂正していくものです。

(2)20代の前半までの引きこもり経験者(それでも10年ぐらい引きこもっている人がいます)には障害者枠を適応した方がいい人はどれくらいいるのでしょうか。「少なくとも80%くらい」というのではなく、それよりはかなり低いと思います。実態調査をふまえて判断すべきではないかと思います。

(3)20代半ばから30代半ばの引きこもり経験者は、(1)と(2)の中間状態と予想しますが、これも実態調査によらなくてはなりません。個人の状態において障害者かどうかを判断することになります。

(4)障害者を、どのように定義するのかが問われます。本人の心身の能力を発揮するだけでは通常の社会生活を送ることができないので、他者または社会的な援助を必要とする心身状態がある人としておきます。行政的な判断基準とは一致できないかもしれません。

(5)この障害者の定義を引きこもり経験者に当てはめていくとこうなります。引きこもり状態の障害者は、就労困難、少なくともフルタイム就労が困難であるために基本的に家族の援助の下にあります。そこから抜け出すために支援団体等に関わっているものです。
この就労困難の原因はいくつかあります。中心は対人関係の困難であり、通常の対人関係の力を獲得することが困難になっている状態は障害者になるでしょう。先天的要因と子ども時代のひどいいじめなど対人関係による傷つきなどによります。努力によって対人関係の力を獲得しようとすると、しばしば心身の不調をまねきます。
就労困難な原因のもう一つは、作業能力が低いことです。速度が遅い、ひんぱんに休憩を必要とする、そして自分の裁量で判断するのを避ける傾向がつよい。私はこの3点を作業能力が低い要素であると見ています。個人差は大きいはずです。これらも訓練や研修によって身につけられるレベルを超えたものになっている場合は、障害者に該当すると思います。
しかし、引きこもりの経験者であっても、年齢が低い、引きこもりの期間が短いのであれば、このような状態になる人の割合もまた低くなります。35歳を超えている引きこもり経験者であってもこういう面の就労困難な要素を持たない人もいるわけで、それは個人差になるでしょう。

(6)そこで再度、障害者をどう定義するのかに戻って考えます。ある先天的要素を持つ人が社会的な原因・背景から引きこもりを経験し、障害者レベルの状態になったと考えられます。これは逆に考えると別の社会的な条件ができれば、上のような原因・要素で就業困難である人も、その条件の中で就労ないしは社会的な活動ができる可能性があります。
例えていえば、超高性能義足が開発され足を失った人がそれを身につけることで通常の就労や社会活動ができるようになることです。

(7)引きこもり経験者の就労は、その労働、作業ができる・できないレベルではなく、自分のペースを維持できないと、エネルギー不足や意欲低下になります。それを訓練や激励により高めようとすると、心身の不調や精神障害的な症状をひきおこすことがあります。就労や社会活動においても、本人のそのままの状態をいかに確保できるかが大事です。
引きこもり経験者がその状態のままで就労できる環境、社会活動の場を開発できれば、引きこもり経験者のとっての“超高性能の義足”に相当するものができることになります。その場ができれば引きこもり経験者は障害者ではなくなります。そのような場もまた個人差が生まれるのは避けられません。そして義足を必要とする人は義足をつけても障害者のはずですが、このような場を獲得した引きこもり経験者は障害者ではなくなります。せいぜい特別なことをしている人になるだけです。

余談になりますが私はそのような場をめざしているのかもしれません。とはいえ10人のうち10人ともこのような場を獲得する可能性は高くないのですから、社会保障的な制度的セイフティーネットは必要なわけです。
無名さんの指摘を受け、私の見聞きしている引きこもり経験者の状態を照合してみるとこのような状況が開けます。
これは私が見聞きしている範囲から考えることにとどまります。多方面からのご指摘を歓迎するとともに、引きこもりの現状を全体として明らかにしなくてははっきりしたことは言えないのかもしれません。私は自分の見聞きしたことに基づいてこれからも取り組んでいくことになります。

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