日の丸、天皇、神社、そして閾値

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今年も卒業式の季節が来ました。学校の卒業式などに日の丸、君が代を強制する条例がいくつかの自治体で導入されています。
平成天皇はかつて、春か秋の園遊会のおりに「(日の丸、君が代は)強制はしないのがいい」趣旨の発言をしています。
また日本で天皇制が長く続いたことに触れて、これまでの歴史において天皇が政治の前面に出ない時期が長かったかったことをあげました。昔から天皇制は、現在の象徴天皇制のようであったと言ったこともあると思います。
政治的な発言は慎重に避けているなかでの表現ですが、そういう天皇制であるから長く続いてきたというように聞こえました。

日本の歴史のなかで、天皇制が一貫してそのようなものではあったわけではありません。
ことに明治期以降から戦前まではそうでしたし、天皇中心に歴史が展開しているとする皇国史観が思想統制に使われました。
アジア太平洋戦争の時代においては、いわば当時の昭和天皇の思いを超えて天皇制が軍国主義に利用されたと私は推察しています。すなわち絶対主義的な天皇制として利用され、振る舞った時代があります。
昭和天皇がその時代に、国際問題を外交的に解決する平和主義者であったとはいえないまでも、近隣諸国を軍事的に征圧する方針の主役ではなかったことを示す多くの材料があります。
戦後は象徴天皇制を積極的に推進していると見受けられます。
平成天皇はそれを受け継ぎ、それが天皇制継続の要諦と考えているかのようです。
私はそのようなものであれば、象徴天皇制は続いてもいいのではないかと思います。
絶対主義的な天皇制は認められないけれども、象徴天皇制ならば甘受できるというものです。

同じことが日の丸や君が代にも当てはまります。
国の法制として「国旗国歌法」ができたのは、その意味ではすでに行きすぎなのです。
昭和天皇は戦争のA級戦犯といわれる人たちが祭られるようになって以来、靖国神社には参拝しなくなったと聞きました。平成天皇も同様の立場をとっているようです。天皇の立場において真摯な戦争責任を示したものと考えます。靖国神社は天皇の思いとは違う方向の対処をしたように思います。
同様に、君が代が強制的に歌わされ、日の丸も強制的に掲揚されるようになれば、これは天皇の思いを超えたものになると推察されるのです。
このような動きをする右翼的といわれる人たちは、天皇をして復古的な社会制度をつくりだすのに利用しようとしていると見えます。すなわち天皇の政治的な利用です。
これらが顕著になると、いつもは穏やかに眺めている人たちも、君が代や日の丸やさらには天皇制に関しても“アレルギー反応のような”拒否感を持ってしまいます。人の姿は押さえ込んでも、心を制圧することはできません。そのような押さえ込みは逆効果でしょう。
学校や社会のいろいろな場面で君が代や日の丸に拒否反応を持つ人の多数は、戦争時代に現れた絶対主義的な天皇制の下での君が代、日の丸への拒否反応が継続しているのです。
デザインとしての日の丸、音曲としての君が代ではなく、政治的・思想的な付着物が受け入れられないのです。
むろん君主制ではなく、人民主権に基づく国家・社会関係こそが日本社会のあるべき姿であるという立場からの天皇制への反対もあると承知しています。そういう人でも天皇制が甘受できるのは各人の思想・信条が守られる条件においてです。「強制的な要素」は天皇制までも否定的な感情の対象にし、心理的な“アレルギー源”にしてしまいます。

私はここで神社を挙げて対比したいと思います。靖国神社のような政治目的から生まれたものは例外として、日本に万単位あるという神社には一般にそういう強制を感じさせるものはありません。神社が思想的・歴史的あるいは宗教的に天皇制とつながっていることは確かですが、普通はそこに強制を感じることはないし、自然信仰的な日本人の感情に溶け込んでいます。
明治のころには皇国史観の風潮のなかで「神仏判然の令」により寺院を神社に統合する動きが全国的に展開されました。これが続いていれば神社も別の“アレルギー源”になっていたのかもしれませんがそうはならずに止まりました。
それに比べれば日の丸や君が代はかなり汚れてしまいました。汚れを洗濯するにはそれにふさわしい振る舞いと時間を要するものです。君が代、日の丸の法制化や強制はそれとは逆の働きです

“アレルギー源”になるのかならないのか、その境目は自然な感情にとどまるのか、それを超え自然な感情を超える領域にまで閾値を高めるのかにかかっています。
日の丸、君が代の制度化、強制の動きが強まれば(それは天皇の政治的な利用が強まればと言い直してもいいでしょう)、国民のなかに批判的気分・感情が広がります。おそらく平成天皇の言葉の背景にはそのような状態を好まない気持ちがあるのではないかと思います。
確かに強制やその背景になる法制化は、天皇制の存続を危険に向かわせる要素になるのです。

日の丸、天皇、神社、そして閾値」への1件のフィードバック

  1. このブログの記事はFacebook「不登校情報センター」に転載されています。Facebookの記事に次のコメントが入りました。

    「Makoto Okada 岡田です。拝見させて頂きました。僕も政治的立場は「中道左派」で、象徴天皇制はいいと思いますし、石原知事や橋下市長は大嫌いですが、国旗国歌法に関しては、見解が異なります。
    まず、戦争には光と陰があります。どの国も多くの”侵略”をして、今の世界があります。確かに中国や東南アジア各国で、残虐な行為を、「日の丸・君が代」のもとに行ったのは事実で、多いに反省すべきですが、我らの先祖である彼ら300万の犠牲がなければ、今の平和な日本が存在しなかったのも事実です。植民地になっていたかもしれ…ません。僕は堂々と靖国神社に参拝しますし、首相もそうすべきです。今上天皇は聡明な方だから、「政治問題」を避けるために控えているのであって、本心は行かれたいお心持ちだと思います。
    国旗・国歌も、一面では侵略の象徴ですが、日の丸などは千年の歴史もあり、国旗・国歌は広く国民に浸透し、受け入れられています。日本は思想・信条の自由があるので、国旗・国歌に反対するのは自由ですが、法律は守ならければなりません。法律を破っても信念を貫き通すのは立派ですが、代償を支払わなければならないのは当然でしょう。国民に奉仕する公務員ならなおさらです。 国旗・国歌を愛することイコール、軍国主義というのはあまりに単純な発送です。日本の先祖代々の歴史を尊重し、現在の国民、郷土、家族を守り愛することつながるのです。一年前の大震災でも、国民の団結力が発揮され、特に自衛隊の活躍は素晴らしいものでした。国旗・国歌とは関係ないのではなく、ここにこそ、意味があるのです。
    反対派の方々に対して疑問に思うのは、「対案」つまり、日の丸・君が代でない、別の国旗・国歌を、国民に広く提案する義務があると思います。既にしているのかもしれませんが、一般大衆には届いていません。僕も共和主義者時代には、いろいろ考えたものです。もっと平和的で素晴らしい国旗・国歌を作り、浸透させるたゆまない努力をせずして、ただ反対するのは道理に反します。
    日本人は、もっと国家を愛する必要があると思います。それは強制でも洗脳でもない、自然で自発的なものです。家族を愛し、隣人や友人を愛し、郷土を愛し、その延長で、国家・国民を愛する、そして、それは世界を愛し、人間を愛することに繋がると思います。
    長くなりすみません。これが僕の意見です。」

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