精神エネルギーの消費と筋肉エネルギーの消費は違うか?

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表題について間違って理解していたと気付きました。
昨日は、「精神エネルギーの消費と肉体エネルギーの消費には違いはなく、ヘルムホルツがそれを証明した」と宣言してしまいました。
戻ってきてこれを確認するためにノート(「無神論者の祈り」Center:157-精神エネルギーと筋肉エネルギー)を読み返しました。確認するだけのつもりでした。
「感覚神経のそういう特殊エネルギーの限定のゆえに、われわれは外の物理世界がどうであれ、天から与えられた神経エネルギーの五つの様相でした世界を知ることができない」。そしてヘルマン・ヘルムホルツは「筋肉の代謝の問題からエネルギー保存則をたてた」……とあります。
このあたりを要約して先の宣言になったわけです。しかし、理解してきたことは間違っていると思いました。確認するなかで間違いに気づいたのです。ノートではあいまいな感じがしたので、改めて金子隆芳『色彩の科学』を読み直し始めました。
1つの点が不明瞭で1つの点は間違っています。これが調べるテーマです。
(1)感覚神経を動かすエネルギーは筋肉を動かすエネルギーと同一に扱っていいのかどうか。私はそうとったわけですが、筋肉の代謝とは筋肉を動かすエネルギーと同じに取っていいことなのか。『色彩の科学』の表現はそうはいっていないのです。
(2)より重要なのは「神経の活動は電気的パルス波である」というとき、パルス波の1つひとつのエネルギー量は同じとしても、精神エネルギーの消費と肉体エネルギーの消費の問題を扱ったことにはならないのです。仮に1秒間に神経エネルギーが100パルス出し、筋肉エネルギーが80パルスを出すとしたら、単位時間あたりの精神エネルギーの消費が多いともいえるわけです。エネルギー消費が「同じ」といったのは電気的パルス波になったときの単一パルス波のエネルギー消費を指しているだけです。
私が考えたことは「人に対して気遣うエネルギーは肉体労働的な筋肉エネルギーとは違って、消費が大きいのではないか」というものです。
昨日、上河辺順先生の子ども時代からの友人である精神科医丸野廣さんを囲んで5人ほどで行った雑談型の“ストレス(?)”勉強会を始めました。再開のようです。これから毎月1回開く予定です。

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