不登校の子どもと親の思いはなぜすれ違うことがあるのか

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不登校セミナー(12日)は参加した親たちに深刻ななかにも“熱さ”があります。
親の思いと子どもの状態の差が特に大きいように思います。親には子どもへの愛情と期待、動機付けや条件づくりの一生懸命さが表面に出てきます。それが“熱さ”と感じる素なのでしょう。
対する子どもは動かない、テレビ・パソコン・まんがに浸る生活です。この子どもの生活や状態は親から見ると「何も考えていない」「(いま必要なことを)何もしていない」と映るのです。
子どもに必要なことは、自分のペースを取り戻し、自分を知り、自分でそれにあった進み方・生活の仕方を考えることです。すぐに答えがわかるようなものではありません。まず休みます。その空白時間をテレビ・パソコン・まんがに浸ります。……子どもが意識的にそうしていればたいしたものですが、ほとんどの子どもは無意識に自然状態としてそうなります。
自分の状態を意識する子どももいます。その場合の多くは「これではいけない」など自分の状態を否定的に考えます。自分のペーストは言えません。誰かの尺度との比較における「これではいけない」です。

子どもに必要な自分のペースを取り戻すためには、その環境が必要です。誰かが会いに来て、誘導や指導があるとこの環境はできず壊されます。
自分を理解し自分のペースをつくるには行動なくしてはできません。頭も中の作業だけでは不可能です。これまでに経験したこと、ときどきの思いを受け止めてくれる人が必要です。答えを出す人ではなくよく聞いてくれる人です。
しかし会いに来る人はどんな人かはわかりません。子どもは(そして人はすべて)前に進むときには、防衛を準備するものです。自分に会いに来る人が指導や説得を試みるようなタイプはこの自分でつくりたいペースを妨害する人です。
だから会いたくないのです。これまであったのがそんな人ばかりだとどんな人とも会いたいとは思いません。一度失敗すると次にやりにくい、次をするのは時間を置かなくてはならないのはこのためです。

違いは前に進もうとする親と自分を守ろうとする子どもの違いに根ざすのです。

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