継続とは三日坊主を繰り返すことと覚えたり

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いろいろな人から「何もすることがありません」「何かをしようとしても一つのことを長く続けられません」「自分なりには動いているのですが積み重なるものがないのです」などの悩みというか訴えを聞くことがあります。そういうことについて少々…。

何かに気づいて事を始めるのは大事なことです。
毎日の生活のなかでタイクツを感じるようになった、いつもしていることに飽きがきた、短時間でいいので外出する時間をつくりたい、どうやら自分はマンガを描くのが向いていると感じるようになった…こういうときは何かを始めるときではないでしょうか。
何よりもまず始めることです。準備よりも手足を出して動くことを勧めたいです。準備だけで大仕事になり、そこで終わる人が少なからずいるからです。

モノを始めても一直線に進むことはないでしょう。それは当然です。小さな気づきも大きなカベも出てきます。比較的順調に進むとき、スランプになるとき、飛躍するとき、中だるみ、淡々と進む…そういうことが織り交ざって事態は進行します。
そういう流れのなかで何かを気づくことは、モノを進めていくのに欠かせないことです。人に言われて指示通りにすると続かない、つまらなくなるのはこれらに気づきにくいからです。
自分のなかに問題意識というか、小さな発見をしようとする気持ち、普通はテーマを持つといいますが、そういうものがないと続きません。モチベーションがなくなると言います。
中断するのを怖れる人には、中断が長くならないようにする方法があります。一つのことに枝葉をつけることです。ただし“まったくの初心者”には難しいことがあるかもしれません。私の勝手な推測かもしれません。

何かを始めてきたが、ふと気づくと楽しみがなく機械的なことをしている、そういう自分に気づくことです。この自分の状態に気づくことは大事です。事態を察知することであり、予感できることです。
たとえば私は風邪の予感を感じたら、さっさと寝るようにしています。そうすると風邪は大事にならずにやり過ごせることが多いと思います。仕事にしても他のことにしても同様です。
予感から現実に移り始めたら中断したほうがいいです。中断したら再開できないと思う、それを繰り返してきたから中断はしたくない。そう思う人は多いでしょう。だから続けていくこともあるでしょうが、それが原因になって事態をストップさせます。
「ブログの達人」という人が本を書いていますが、そのなかの一説です。
「そういうときのために、とっておきの解決方法」は「ブログを書かない」と言っています。義務感から書いていると、楽しくなくなります。「無理に書こうとするから書けない」「書かなければいけないと思うとストレスになる」、そういう時は書きたくなるまで待つ。

することをパターン化する、マニュアル化するのは意味のあることです。しかし、自分にとって継続していけるかどうかは、自分の楽しみを持ち込めるかどうかにかかっています。特に男性はそうです。
パターン化され、マニュアルがあると最初は手を着けやすいので歓迎されます。それがパターンの力です。自分の楽しみがないと続かないし、進展は期待できません。それを感じる力、気づく力がいるでしょう。
その気づく力は前に向かっているときよりも退屈や機械的な動きになっている自分を感じることから生まれます。そういう気分や感情の変化は異常ではありません。気分や感情の変化は都合よく現われることもあれば不都合に現われることもあります。その変化を自分の適性を知ることや、手がけていることに役立てようとする気持ちでいることです。

私は不登校情報センターという金儲けにならないことを20年近く続けています。長く続いているのはそれなりの理由もあります。この取り組みには辞書づくりという個人的な趣味を持ち込んでいます。その周囲に楽しみがあるし、そのときどきのテーマがあるし、人が相手なので反応があります。それが続いている背景です。
細かく見ると不登校情報センターで私がしていることは単一のことではなく、いろいろなことの組み合わせです。それらを手を変え、品を変えて繰り返します。
一つひとつを見ると三日坊主で終わっています。ある期間に力を入れていること、たとえば相談業務から離れています。しかし相談は向こうからきますのでそうなるとまた取り組みます。
ものを書くとか、集会のイベントをするとかいくつかのことがそれぞれある時期に重なり、ある時期には少なくなる。これは私がときどきに向ける力の波です。それを三日坊主の繰り返しと考えますが、これを継続と言います。継続とは三日坊主の繰り返しのことを言います。
何事も一直線に進むことはありません。変化があります。飽きてきたら中断し、他のことに手を出す。別の例ですが同時に4、5冊の違った本を平行して読みます。難しいものを読む方法の一つです。疲れたら読みやすいものに移る、ここでと思ったらわからなくても勢いで活字を追う、そういう織り混ぜの読み方をします。これは私の本の読み方であって他の誰かにあった方法かどうかはわかりません。

自分のなかにいろいろな要素を少しずつ増やしていく。欲張らずに一つずつを広げていく感じでしょうか。見方を変えれば経験を重ねることです。最適なことばかりを選んでいてもそれが本当に最適かどうかはわかりません。できそうなこと、すぐ隣にあるようなことに手を出してみるのです。国語の辞書を開いたときに調べたのと同じページにある別の言葉も見るような感覚です。

スランプやマンネリを感じて中断した、その中断が長くならないようにする方法もあるかもしれません。何かを始めたときその中に楽しみやテーマをもつことです。それが長続きのコツでもありますが第2の効果もあります。
その楽しみやテーマを別に記録しておくことです。
ブログの例で言うと、ブログのページにアップする記事とは別に、ブログに掲載していない、未完成のメモ・覚え書を記録します。これは、本体の主ブログに吸収されることもありますが、独自のものになることもあります。この独自のものが伸びていくことが枝分かれです。

中断したままになっていること、それも多くあります。忙しいとかさしあたり続けていくテーマが見つからなかったものでしょう。その結果、自分は大昔にこんなことをしていたというものを見つけることもあります。それはそれでいいのではありませんか。
問題は「何もしていない」時期が数週間も数か月も続いてしまうことです。病気のときは、しかたがないです。病気を経験することが直面する最大テーマになっているからです。それ以外のときに何もしていない時期が続かないように心がけること、それを続ける工夫として書いてみました。いろいろな質問への私なりの答えになります。

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