ごみ屋敷の家主と話せるようになった例に学ぶ

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ごみは扱いようにより人と人とを結びつける話です。まずはその1。
豊中市は40万近い人口を持つ大阪市の衛星都市の一つです。
そこの社協(社会福祉協議会)の取り組みがNHKで報じられていました。
ごみ屋敷状態をご近所の人の協力を得ながら400か所をなくしたというものです。
私が注目したのは、そのごみ屋敷の家主に社協の人が2年間かけて話ができるようになったところです。ごみ屋敷の人は周囲から孤立しています。孤立状態から社会につながるには訪ねてくる人への安心感がいります。それは容易なことではなく、2年の粘り強い働きかけで実現したのです。
近所の人の協力はごみを片づけた後のつながりをつくるものでしょう。

私はひきこもり状態の人に訪問を重ねていますが、一度も会えずに終わった人もいます。
豊中社協の人の2年間の話を聞いてもう少し粘ってみるべきだった、そう思える人がいます。特に私から訪問をやめようと提案した家族にたいしてそうです。
訪問を始める前に、家族とある準備をします。それをした人はだいたいが会えてきたのですが、この家族とはそれが不十分なまま訪問を始めました。
10か月程度、ほぼ毎週訪問しました。それでも本人は部屋を閉ざしたままです。私はこの事前準備の不十分さが会えないことに関係していると考え始めました。やり直すつもりで私から訪問の中止を申し出しました。
それから5年以上たちます。ときどき会報を送りますが、これという連絡のないままです。
豊中社協のやり方を見て、訪問を続けながらやり方の工夫を考えてもよかったのです。2年、いやもっと長くなっても粘っていくべきでした。

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