作詩:あの日

前へ進みたい気持ちはあるのに
どんなに心に訴えかけても 体が動かない

変わりたい気持ちはあるのに
どうすればいいか分からない

そんな時 遠い昔の事を思い出す

怖くて行けなかった あの日
後戻りしてしまった あの日…

その先にあった景色を今度こそは見たい
今 やっと ここまで登って来た

あと ほんの少しで行けるんだ
もしも その景色が最後だったとしても
そこまで来れた自分は
あの日から 確かに変われた自分なんだよ

そして 帰って来た時は
温かい家族が待っている
今度は頑張ったねって笑顔で迎えてくれる
家族がいてくれる

遠い昔のあの日を
懐かしいねと笑える日が来るように

作詩:分かれ道

もしも 後ろに戻る道を選んだら
きっと元に戻るよりも
何も出来なくなって
深い傷と更なる病気を負う事になるだろう

やっと ここまで来たから
あともう一歩だけ 前へ進んでみたい

後ろの景色なら もう充分見たから
今度は前へ進んだ その先にある
景色が見たい

それは まだ見た事がないから
怖い気持ちも もちろんあるけれど
このまま誰かのせいにするのは嫌だから

これが最後でいい
最後にあともうちょっとだけ
頑張ってみよう

『怖れ』から逃れたい

私には、沢山の情報やアドバイスの中から、自分に必要なものや大切なものを選んだり、受け取る自由がある。ただ、あまりにも沢山の事を言われ、そのどれもが「まと」を突いていたら…。結果、責められてる様な気持ちになり、自分を見失う。

しかし、そんな自分を責める気持ちをも包み込むような、情報やアドバイスを言われたら、辛いのに涙が出ないような現象におちいる。

今日は言いたい事・相談したい事を、全部言う事が出来たし、吐き出す事が出来た。それは良かった。これで、また一歩前進した。それは間違いない。

ただ、始まりというものは、初めて故にショックを受ける。痛みを伴う。その痛みが、今日はやけに痛くて…。

こういうショックな状態におちいった時、今までの私だったら、我慢したり、(誰かに対してなのか、自分に対してなのか、分からないような)怒りにまかせて、投げやりな行動に出ていたと思う。

しかし、今度は違う道に進みたい。違う私になりたい。これはチャンス。今、私はチャンスに恵まれている。しかも、チャンスだけではなく、そういう状態から抜け出す為のヒントさえも貰えたのだ!

ただ、チャンスというものは時にピンチでもある。「成長しよう!」という意欲は素晴らしいものだ。それは、そのまま持っていていい。しかし、ショック状態が続いているうちは、その「成長しよう!」という気持ちの中に、大きな『怖れ』の感情が存在している。

『怖れ』が強いうちは「成長しよう!」という気持ち自体が、苦しみのサイクルの中に入っていく。それは、つまり「成長しよう!」が『怖れ』から逃れたい!行為になっていたのだ。

今日は本当によく頑張った。ショック状態は続いているけれど、これ以上思い悩むのは「悩んでいる自分に酔っている状態」におちいる行為だと思う。だから、そのままの状態で、今日はゆっくり休む事にしよう。