休むことの大切さ

もうすぐ、2016年が終わる。

今年は6月から8月までの3ヶ月、
アルバイトをした。

本当なら、その後1ヶ月は
休んだほうが良かったのだが、
私は走り続けて、

10月の半ば、とうとう倒れてしまった。

しかし、その時はなぜ自分が
倒れたのか分からず、

「このまま私はまた駄目になってしまうのかぁ〜!」

と、怖くて怖くて、
這うようにして動いていた。

11月の初めに再び自力で起き上がり、
活動的になった。

次から次へと予定を入れて…、
今思うと、かなり無茶をしていた。

どんどん気持ちに余裕が無くなり、
止まることも怖くて、いつの間にか
自分を大切にできなくなっていた。

それでも、
なぜ自分がそうなるのか分からず、
言葉にできないツラさを抱えていた。

「少し休んだら?」

知り合いから、そう言われて、
ようやく休むことを受け入れた。

すると、当たり前だけど、
気持ちに余裕ができて、
自分を大切にできるようになった。

自分を大切にできると、
周りを大切にできるようにもなる。

26日に、スマスマ最終回を見て、
そこで私自身も力尽きた…。

今は毎日何をする訳でもなく、
ゆっくり過ごしている。
買い物やカフェに行ったりもするが、
基本 家にいる。

昼夜逆転になったり、
なかなかお風呂にも入れないけど、
今はそんな自分を許している。

何だか、ようやく休んでいる感じだ。

来年は1月から、また忙しくなる。
予定を詰め込む癖は
抜けてないかもしれないけれど、

私のペースで頑張ろうと思う。

生きているから

生きているから 悲しかったことも、
生きているから 嬉しかったことも、

生きているから 苦しかったことも、
生きているから 楽しかったことも、

生きているから 悔しかったことも、
生きているから 喜んだことも、

生きているから 怒ったことも、
生きているから 許したことも、

生きているから 憎んだことも、
生きているから 愛したことも、

生きているから 別れたことも、
生きているから 出会えたことも、

生きているから やり直せなかったことも、
生きているから やり直せたことも、

生きているから 怖かったことも、
生きているから 安心したことも、

生きているから 泣いたことも、
生きているから 笑ったことも、

みんな、みんな、幸せだったなぁ。

「普通」になれなくても

私は「普通」になれなかった。

お母さんやお父さん、世間の人達、
世の中が求める「普通」になれなかった。

みんな一生懸命、「普通」になれるように
頑張ってくれたのに、

私も一生懸命、「普通」になれるように
頑張ってきたけど、

ごめんなさい。
私、「普通」になれなかった。

でもね、私はいろんな人達に出会って、
教えてもらったことがある。

「普通」にはなれなくても、生きていい。
そして、幸せになれることを。

お母さん、お父さん、世間の人達、世の中…。

私、「普通」にはなれないけど、
生きてもいい?幸せになってもいい?

誰よりも、私が自分自身に対して…、

「普通」になれなくても生きていい。
「普通」になれなくても幸せになっていい。

そのOK!を出す勇気があれば、
「普通」という狭い箱の中から飛び出して、

私らしく生きていけるほうへ、
私らしく幸せになれるほうへ、
踏み出していけそうな気がする。

きっと、そこには
たくさんの出会いが待っている。

ここだけの話

悠々ホルンさんの歌を聴いた。

ずっと心の中で思い続けてきた
傷のようなものが溢れ出して、
本当に泣きそうになった。

私の中には、
解決されていない。納得できていない。
悲鳴のような疑問が未だにある。

前だけ向いてきたから、

もう解決は望んでいないし、
もう納得もしなくて良かった。

そう思っていたはずだったのに、

立ちはだかる現実を前にして、
子供のままの私が、
「まだ解決できない!納得できない!」
そんな地獄へと堕としていく。

本当は…、解決が欲しい。
本当は…、納得が欲しい。

でも、分かってる。
そんなものは無いってこと。
あるとすれば、それは未来にあるってこと。

だから、未来に行きたい!
行こう!と決意した最初の一歩が、
あまりにも痛くて痛くて…。全然 駄目で。

無理やり笑ってみた。無理やり頑張ってみた。
「いつか、いつの日か」と言いながら。

現在を生きれないことに気付いていながら、
自分のツラさを受け入れながら、
私は悲鳴のような疑問と戦って勝とうとした。

馬鹿な戦い、愚かな戦い。
でも傷付きたくなくて、
ただひたすらに、怖かった。

そんな弱い自分を、
誰にも話せなくて、伝えられなくて…。

もう大人なのに
中身が止まった子供のままの自分が
恥ずかしくて、
本当に想っていることが言えなかった。

悠々ホルンさんの歌を聴いて、
そんな自分の想いを、このブログで
初めて言葉にすることができた。

ありがとうございます。

—–

私が聴いた歌は、

♦︎『16才のいばしょ』
♦︎『(勉強って何の為にするの?) 少女「捨てられない為」』

…です。

家を飛び出して(2)

母が帰ってきてから、
失くしたものもあったけど、
得たものもあって、

信じ続けてきたけど、
その力は日に日に衰えていった。

そうして、今
私には何も無くなってしまったのかな?

見渡せば、たくさんの幸福があることを
分かっているのに…。なぜだろう?

今年を一漢字で表すなら、
私は『母』と答える。

仕事もしたし、いろんなことも
たくさんあったけど、
母と過ごした、この1年。

時に苦しく、時に愛しく、
時に厳しく、時に切なく、

甘えて、甘えられて、
悲しくて、嬉しくて、寂しくて、

……楽しかったよ。

書きながら、
不思議とそんな言葉が出てくる。

お母さん、ありがとね。

最近、私は「いつの日か」って、
ばかり言ってるけど、
母と過ごした、この1年を思い出して、
いつの日か笑っていたらいいな。

家を飛び出して(1)

現在、21時。

家にいるのが、
どうにも耐えられなくなって、飛び出した。

今夜は生温い強い風が吹いている。
雨が降ったのかな?地面が濡れている。

駅まで歩いてきた。

マックに入る。
100円のアイスウーロン茶を頼む。

店員さんに聞く。

「すみません、
ここのマックは何時まで開いていますか?」

「23時までです」

ありがとう。
夜遅くまで、お疲れ様です。

2階に上がる。

そういえば、1年前も私はここにいた気がする。

去年の11月に家を出て行っていた母が帰ってきた。

母との新しい生活が始まったが、
やっぱり私は耐えられずに、
家を飛び出して、夜のマックに来たことを思い出す。

あれから、いろんなことがあったな。
想いをめぐらせてみる。

やっぱり、怖いものは怖い。

どんな時でも、前向きに歩いていたかった。

もう足を止めることだけはしたくない。
そう思いながら、頑張って、頑張って…。

でも、もう無理だ。やっぱり、怖い。

いつもなら、
「きっとまた笑顔になれる」
「また幸せを見つけられる」と言ってきた。

言葉にすることで、そうなれると信じてきた。

でも、私はまた心から笑える日がくるのかな?
また幸せを見つけることができるのかな?

ただ、ただ、怖くて怖くて…。

そんな本当の気持ちを、
誰にも話せなくて。伝えられなくて。

だから、我慢している。隠している。
無理して笑顔を作って、嘘をついて。

何をやっているんだろう。
何がしたいのだろう。

どこに向かっているんだろう。
どこに行きたいのだろう。

今は考えれば考えるほど、分からなくなる。

愛を知るために変わっていく

私は変わってしまうことが、
寂しくて、怖くて…、仕方がない。

どうして変わってしまうのだろう?

好きだったものが嫌いになったり、
大切なものが大切にできなくなったり…。

そのぶん、
嫌いだったものが好きになったり、
大切にできなかったものが、
大切にできるようになったり。
それもあるのだと思う。

頭では分かっているけれど、
失った悲しみのほうを見てしまう。

その中でも、一番弱いのは『別れ』。

愛する人がいなくなる。
その現実を実感することができなくて、

「また明日、会おうね」の気持ちで
私は別れてしまった。

その後悔は15年以上続いた。
永遠の別れを信じられなかった私は、
現実や時間を止めてしまった。

時間が掛かってもいい。
今は変わってしまうことや、別れを
受け入れられるようになりたいと
本当に思っている。

「別れ」を受け止めることは、
その次の「出会い」を受け入れること。

「さようなら」の後には
「はじめまして」があって、

まだ見たことない世界が広がっている。
そして、そこには初めて出会う自分もいる。

楽しみにしながら、
たくさんの人達に出会って、
支え・支えられ…。

愛を知っていくんだろう。