人格の成長の阻止や破壊にあった人が持つ困難

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前々回の終わりのほうで「何もする気はありません」という人と自己否定感の強い人はほぼ共通の状態にあると書きました。何かの根拠があるのかを問う人がいるかもしれません。
私の体験として見聞したことがあります。強烈ないじめを受けて40年近く家に閉じこもっている人との出会いです。出会いというよりも垣間見た印象です。もし「廃人」という表現がありうるとすればこういう状態ではないかと思いました。
人は成長します。成長とは心身が育つことです。身体の成長は外見にも現われます。心の成長はどうでしょうか。現われていることもありますがとらえがたいこともあります。その心の成長が自己肯定感につながります。ところで心の成長とは何でしょうか? 意外とわからない、答えられないものです。
私はこの強烈ないじめを受けた人を垣間見たあとに、心の成長とは人格の形成であると確信しました。心が成長していないとは人格の成長がストップした状態であると感じたからです。人格の成長がないまま身体が大きく成長しても人になりきらないのです。
心の成長を促進する栄養分は対人関係です。同時に心の成長を阻害する可能性がある毒素もまた対人関係なのです。
子ども時代に強いいじめや虐待を受けた人の困難は、人格の成長が阻止されたためか、ある程度成長した人格が破壊されたためではないかと思えます。対人関係が毒素として働いたためです。
そういう人は意識して何かをする状態にはなれないのです。生存すること自体がパニック、恐怖になるのではないでしょうか。それは自己存在感の空白、自己否定の深刻な状態です。
長期の引きこもり経験者はその手前にいます。「何もする気がありません」「何をしていいのかわかりません」という状態はそれに近づいた状態です。
引きこもり経験者の一人ひとり違う現実状態からスタートしなくてはなりません。誰かの頭のなかに描かれている「社会人としての基準」からはスタートできません。ゼロからの出発ではなく、マイナス状態からゼロに向かい、その勢いでプラス世界に進む取り組みです。
(その4)

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